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しまだ『ママの推しは教祖様 ~家族が新興宗教にハマってハチャメチャになったお話~』-ママの真実の姿に戦慄

ママの推しは教祖様

昨日は、たもさん先生のコミックエッセイ『カルト宗教信じてました。』を紹介したが、二世信者繋がりで、『ママの推しは教祖様 ~家族が新興宗教にハマってハチャメチャになったお話~』を再読。
作者は、しまだ先生。

推しとは、人にすすめたいほど気に入っている人や物のこと。

オタクがアニメやマンガにハマるように、母親がカルト宗教にハマって、教祖をめちゃくちゃ推す。そんなトンデモナイ状況を描いたマンガ。

コミックエッセイだけど、かなりのフェイクを入れて、夢見がちな乙女チックキャラとして描かれるママ。少女のような装い、キラキラお目目で、熱く教義を説く。
そこに、冷めた目で心のツッコミを入れるしまだ先生。二人の掛け合いに、思わず笑ってしまう。

宗教にハマった純粋無垢なママなのかと思って読み進めていくと、最終章で、ママのキャラ像が、一転して崩れ去る。

感情のままに暴走して、子どもを虐待し「自分は悪くない」と、うそぶくママの真実の姿。
とんでもない毒親の姿があった。

神様を信じて戒律に従っている自分は善、それに従わない子は悪として断罪する。子どもを侵害し蹂躙していることに少しも気づかないところに、怖気立つ。

しまだ先生は、終始冷めた感じで淡々としていて、この母親と一緒に暮らすには、大人になるしかなかったのだと思うと、やりきれない。子どもが子どもでいられない状況は、つらく悲しいことだ。

しかしこれだけの体験をしても、しまだ先生は、「宗教は悪くない」と言う。
宗教をしている人たちは、もっと穏やかで、その集団は居場所なのだと、宗教自体を否定することはない。宗教を恨みそうなものだけど、母親と宗教を切り分けて、冷静に俯瞰する。

何を信じるかはひとそれぞれだけど、決して自分の信条を他者に強制してはいけないのだと思う。
それが自分の子どもであっても。我が出てしまう分、実の子であればなおさら。

子どもの人格を認めず、自分の考えを押し付ければ、それはただの独善になる。

すべてを飲み込んで、「わりと面白い子ども時代ではあったかもね」と言えるところがしまだ先生のすごさだ。

壮絶な体験を笑いに変え、エンターティメントとして昇華できる才能が、素晴らしい。

しまだ先生の今が幸多からんことを心より願う。

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